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逃げたうさぎ<三尾神社>
所在地 滋賀県大津市園城寺町251
電話番号 077-522-304

一枚目の写真を見ていただきたい。
右側の絵馬 なんか間が抜けてませんか??

そう!左が正規の形、右は真ん中に居る筈のうさぎが すっぽり抜け落ちているのです。

今年は卯年。卯年生まれの私としてはやっぱり卯年生まれの守り社<三尾神社>に参らねば!
ということで、新年早々三尾神社さんに参拝し 一枚目右の根付をお守りに頂いてきたのでした。

ところがです!昨日ふと気づくと居ないのです!!うさぎがっ!!前の日、朝までは居たのに!!
よくよく前日の行動を振り返ると、、、スーパー大国屋でお財布出すとき この根付の付いたキーホルダーを床に取り落としたことを思い出しました。

。。。。。。大国主命様には<因幡の白兎>を助けて頂いた恩義があります。
<大国屋>で居なくなったということは、きっと大国主命からお呼びが掛かったのでしょう。。。
緊急招集かもしれませんね。。
ということで?(何が??)お出かけしてしまったうさぎはきっぱり諦め 次なるうさぎさんをお迎えに三尾神社さんに再度行って参りました。

ということで<ニューフェースうさぎさん>が左手にいらっしゃる方です。
また大国さんからお呼び出しがかからない事を祈るばかりです。。

 「寺門伝記」補録第五・三尾神社神祠、及び古説によれば三尾明神は次の如く言い伝えられている。
その昔、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられた。
この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられた。
ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、その出現は太古卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方よりとされる。白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲三年(769)三月十四日(第二の卯の日)の出現とされている。
 
社殿に関しては、貞観元年(859)卯の年、圓城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興の後、室町時代、応永年間に足利将軍が現存の本社を復興されたものである。
慶長年間には、太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。
本社が現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列され、明治二十二年には内務省古社保存資金下賜、明治四十三年に県社に昇格している。
 
又、「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。
その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。
その所を名ずけて三尾が崎という。養老年中に道明・徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像を造る。
その像材、近江国高島郡三尾が崎より流れ出て漂ひて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはひ出て陸に上り、西の山を望んで去る。これ即ち三尾明神なり」とある。

 神紋は「真向きのうさぎ」
三尾明神が太古、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より出現されたという言い伝えにより、昔から兎が神様のお使とされている。寺門伝記にも「当神のお使は卯を用う」とある。

  例大祭 五月二日
  渡御祭 五月三日 ~滋賀県観光案内MAPより
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by usa3811 | 2011-02-12 21:35 | 京都こもごも

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by うさ3811
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