http://www.shinsenen.org/index.html
〒604-8306
京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167
075-821-1466
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。
本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。
境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる。(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。
史料に初めてその名が見られるのは「日本紀略」の記事であり、延暦19年(800年)7月19日(旧暦)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。
神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。
貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。貞観11年(869)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、現在の祇園祭の元になったと言われている。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとの説もある(異説あり)。二条城の南(押小路堀川東入ル)には昔の神泉苑の東端を示す石碑がある。これは京都市営地下鉄東西線に関わる工事の際に判明したものである。~ウィキペディアより
二時過ぎに用事が終わり、さて、、お天気も良いし、でももうすぐ夕方やし、、、
で、近いのに行ったことが無かった神泉苑へ。
<五位鷺まで、、>という逸話の書かれた立て看板を見ながら境内へ。
と、立て看板のままの五位鷺が、、、
銀朱のように鮮やかな太鼓橋から 鯉やアヒルにごはんをあげる親子連れが微笑ましく
一時ゆったりほっこりな時間をいただきました。
なんや暖かい場所ですよ。
〒604-8306
京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167
075-821-1466
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。
本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。
境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる。(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。
史料に初めてその名が見られるのは「日本紀略」の記事であり、延暦19年(800年)7月19日(旧暦)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。
神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。
貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。貞観11年(869)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、現在の祇園祭の元になったと言われている。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとの説もある(異説あり)。二条城の南(押小路堀川東入ル)には昔の神泉苑の東端を示す石碑がある。これは京都市営地下鉄東西線に関わる工事の際に判明したものである。~ウィキペディアより
二時過ぎに用事が終わり、さて、、お天気も良いし、でももうすぐ夕方やし、、、
で、近いのに行ったことが無かった神泉苑へ。
<五位鷺まで、、>という逸話の書かれた立て看板を見ながら境内へ。
と、立て看板のままの五位鷺が、、、
銀朱のように鮮やかな太鼓橋から 鯉やアヒルにごはんをあげる親子連れが微笑ましく
一時ゆったりほっこりな時間をいただきました。
なんや暖かい場所ですよ。
by usa3811
| 2011-05-08 21:27
| 京都こもごも