今日は着物屋さんの売り出しがあり 三条まで友人と出かけてきました。
着物のほうは残念ながら思うようなものに当たりませんでしたが、寺町近郊も久しぶりだったのでそぞろ歩いてきました。
明日から中国の友人が泊まりに来るので 三嶋亭で肉を買い(って切り落としですが。。)
<ずいぶんと店が入れ替わってるなぁ~>などどウィンドショッピングしながら錦市場へ。
おっと!その前に<錦天満宮>さんにお参りしないと、、、
錦天満宮
京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、京の台所として知られる錦市場の東の端にある神社で
天満天神(菅原道真)を祀っている。学業に加え商売繁盛も御利益に謳われている。
長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転した。
その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残された。
境内には、京の名水の一つに挙げられている「錦の水」(井戸水)が湧き出ている。~ウィキペディアより
“菅原院”(現菅原院天満宮神社)は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。
京都御苑の下立売御門の向かい側にある。この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)が造営した菅原院跡で 菅原古人以来、是善(これよし)、道真(みちざね)の三代が住まったところでもある。
菅原姓は、土師(はじ)宿禰古人が奈良時代末期の天応元年(781)に改名して “菅原”と名乗ったがはじまりで、奈良時代から平安時代にかけて多くの学者を輩出した家柄である。
菅原古人その子の清公、更に是善といずれも文章博士という最高の位に就ている。道真はこうした環境のもと、是善を父として承和12年(845)に誕生している。
また六条河原院(現在の渉成園辺り)は、平安時代初期の左大臣源融(みなもととおる)が造営した広い庭園をもつ邸宅で、庭には鴨川の水を引き入れ、陸前(宮城県)の松島や塩竃(しおがま)の風景を模して庭作り、大きな池があったという。
融は、池畔で塩を焼き、煙の風情を楽しむため、毎月、難波から海水を運ばせていた。
現在も河原町五条南西部に塩竈町の地名が残っているのはこのためであるといわれている。
六条河原院は融から、子の昇に譲られ、さらに宇多法皇に寄進され、法皇の死後寺へと改められた。
融(とおる)は、この他に嵯峨の山荘・棲霞観(せいかかん)や宇治に別業を造るなど豪奢な生活をしていたようで、光源氏のモデルともいわれている。
嵯峨野にある清凉寺(通称嵯峨釈迦堂)は、融の山荘・棲霞観跡と伝えられ、境内には源融の墓といわれる石塔がある。また融の宇治の山荘跡は、のちに藤原道長に渡り「宇治殿」となり、その子・頼通が寺に改めたのが平等院の始まりである。~京都名所より
お参りも終わったので、錦市場入り口すぐ側の漬物やさんで<胡瓜の古漬け>を購入。(だんなの大好物)
美味しそうなあらまきの中辛中落ちを見つけたので購入。
今日の晩御飯は鮭と古漬けと炊いてきたブリダイコンだな。。
高倉よりのお餅やさんでつき立て餅とぜんざいを頂き、四条からバスに乗って帰ってきました。
さ、鮭焼こっと。。。
着物のほうは残念ながら思うようなものに当たりませんでしたが、寺町近郊も久しぶりだったのでそぞろ歩いてきました。
明日から中国の友人が泊まりに来るので 三嶋亭で肉を買い(って切り落としですが。。)
<ずいぶんと店が入れ替わってるなぁ~>などどウィンドショッピングしながら錦市場へ。
おっと!その前に<錦天満宮>さんにお参りしないと、、、
錦天満宮
京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、京の台所として知られる錦市場の東の端にある神社で
天満天神(菅原道真)を祀っている。学業に加え商売繁盛も御利益に謳われている。
長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転した。
その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残された。
境内には、京の名水の一つに挙げられている「錦の水」(井戸水)が湧き出ている。~ウィキペディアより
“菅原院”(現菅原院天満宮神社)は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。
京都御苑の下立売御門の向かい側にある。この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)が造営した菅原院跡で 菅原古人以来、是善(これよし)、道真(みちざね)の三代が住まったところでもある。
菅原姓は、土師(はじ)宿禰古人が奈良時代末期の天応元年(781)に改名して “菅原”と名乗ったがはじまりで、奈良時代から平安時代にかけて多くの学者を輩出した家柄である。
菅原古人その子の清公、更に是善といずれも文章博士という最高の位に就ている。道真はこうした環境のもと、是善を父として承和12年(845)に誕生している。
また六条河原院(現在の渉成園辺り)は、平安時代初期の左大臣源融(みなもととおる)が造営した広い庭園をもつ邸宅で、庭には鴨川の水を引き入れ、陸前(宮城県)の松島や塩竃(しおがま)の風景を模して庭作り、大きな池があったという。
融は、池畔で塩を焼き、煙の風情を楽しむため、毎月、難波から海水を運ばせていた。
現在も河原町五条南西部に塩竈町の地名が残っているのはこのためであるといわれている。
六条河原院は融から、子の昇に譲られ、さらに宇多法皇に寄進され、法皇の死後寺へと改められた。
融(とおる)は、この他に嵯峨の山荘・棲霞観(せいかかん)や宇治に別業を造るなど豪奢な生活をしていたようで、光源氏のモデルともいわれている。
嵯峨野にある清凉寺(通称嵯峨釈迦堂)は、融の山荘・棲霞観跡と伝えられ、境内には源融の墓といわれる石塔がある。また融の宇治の山荘跡は、のちに藤原道長に渡り「宇治殿」となり、その子・頼通が寺に改めたのが平等院の始まりである。~京都名所より
お参りも終わったので、錦市場入り口すぐ側の漬物やさんで<胡瓜の古漬け>を購入。(だんなの大好物)
美味しそうなあらまきの中辛中落ちを見つけたので購入。
今日の晩御飯は鮭と古漬けと炊いてきたブリダイコンだな。。
高倉よりのお餅やさんでつき立て餅とぜんざいを頂き、四条からバスに乗って帰ってきました。
さ、鮭焼こっと。。。
by usa3811
| 2011-02-18 17:57
| 京都こもごも