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醍醐寺(だいごじ)
〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22 総本山 醍醐寺 TEL:075-571-0002/FAX:075-571-0101

豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な 世界遺産 <醍醐寺>へ行ってきました。

毎月29日は醍醐天皇の命日にあたり、国宝醍醐寺五重塔の内部において開扉法要が営まれ、それに併せて醍醐寺三宝院参道で開催されるフリーマーケット<醍醐市>。

リサイクル品・手作り品・食品・新鮮野菜など四季折々の季節を感じながらバラエティに富んだ「市」(マーケット)が開催されている。~京都イベントカレンダーより

市自体始まってまだ半年ぐらいという新しさで、出店数も人出もまばらだが ゆっくり買い物が出来るのはいいかも。。

この日は法要のため 国宝<金堂>と<五重塔>が開扉され内部を見ることができる。

こんなにゆっくり醍醐寺を見学したのは初めてで、改めてその壮大さと建築物の美しさに感銘した一日だった。
。。。寒かったけど

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by usa3811 | 2011-01-30 18:48 | 京都こもごも
ちょっと休憩
寒いですっっっ!

以前は宮城県の蔵王 標高400くらいのところで店をしていたので、真冬は-10度前後がざらにあり
積雪もカマクラが らく~につくれちゃうくらい積もってました。

そっから見たら京都の真冬温度はせいぜい0度前後。-なんてめったにお目にかかりません。
にもかかわらず!寒いのですよっ!

なんていったらいいのでしょう。。。
雨が降って<しけ寒い>感じ。これの激しいやつ。

<京都の底冷え?>とはよくいったものです。
寒さにめげて 今日外出はちょっと休憩です。

以前 白浜の<京都大学 水族館>で撮ったお魚を休憩時間に。。。
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by usa3811 | 2011-01-28 18:58 | 動物 昆虫
鵺pat5最終章<全ての始まり>
わかりますかね??

かなり鮮明ではない写真で申し訳ないことです。
我が家の裏山は直登すると向かって 右・日吉高校 左・悲田院という環境にあります。
自然と生えた山椒 月桂樹 葵 青木 槇 もみじなど 今はとりどりの椿の盛りです。

京都市内にありながらこんなに恵まれた住環境はなかなかないのではないかしらん?
と、一人悦に入っています。

で、この裏山に現れたのがこの方<トラツグミ>です。

最初キジの雌かと思いましたが、キジにしては大きさが少し小さい 色柄が鮮やか なにより頭の形がちがう。
これはもしかして!!あの<鵺>さまこと<トラツグミ>さまではないのん??
で、調べた結果トラツグミでした!!生まれてウン十年、初めてお目にかかります。

かなり斜面上の方だったのと 引き戸を開けたら逃げてしまいそうだったので 室内ガラス越し 200mでだんなが一生懸命撮ってくれました。

残念ながら声を聴くことはまだ出来ていないのですが なぜ?こんな愛らしい鳥が鵺???
と、思いませんか??

ここで<鵺pat2 鵺塚>に繋がっていくわけです。
<鵺塚>は<後高倉院>の墓所ではないか?という参考資料を添付させて頂きましたが、
後高倉院とは天皇にご在位なさらなかったのに太上院の称号を頂いた異色の方です。

この方の異母兄弟が 平清盛の娘と高倉天皇の間にお生れになった<安徳天皇>です。
この有名な悲劇の天皇は壇ノ浦にて幼い命を散らすのですが、この平家滅亡のきっかけとなったのがpat4
<頼政塚>でご説明申し上げたとおり 頼政さんこの方です。

なんとなく関連が見えてきませんか??

<鵺>は<得体の知れない人>の意味もあるそうですが、鵺にしろ土蜘蛛にしろ妖怪 もののけといわれる多くのもの(けして全てとはいいません)は人の手(時勢や政権)によって都合よく作り出され、歴史の影に隠れていかざるをえなかった人々なのではないでしょうか??

今回トラツグミから始まっていろいろ調べていくうちに私自身とても勉強させて頂きました。

せっかく京都という時代 文化 芸術 歴史 全てにおいて日本のルーツをもつ場所に住まわせていただけているのです。もったいないから沢山おべんきょしよっと。
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by usa3811 | 2011-01-27 11:10 | 京都こもごも
鵺pat4<頼政塚>
住所:亀岡市西つつじケ丘町つつじケ丘小学校裏
アクセス:京都交通バス/頼政塚前より徒歩15分

さて、鵺シリーズも終盤に差し掛かってまいりました。
今回は鵺を討ち取ったといわれている<源頼政>にちょっと触れてみましょう。
 
源 頼政(みなもとの よりまさ)は、平安時代末期の武将・歌人。摂津源氏の源仲政の長男。
平氏が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称された。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場 頼政(ばば の よりまさ)ともいう。

保元の乱、平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇る。だが、平氏の専横に不満が高まる中で、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画し、諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ自害した(以仁王の挙兵)~ウィキペディアより

頼政は源頼光の系統の摂津源氏で、大内守護(皇室警護の近衛兵のようなもの)の任に就いていた。
優れた歌人としての面も持ち、その詠歌は『詞花集』以下の勅撰和歌集に計59首入集しており、家集に『源三位頼政集』が残っている。

彼が生きた時代背景はまさに転換期で、後白河天皇と崇徳上皇の対立があり、鳥羽法皇崩御後、保元元年(1156年)に保元の乱が起こる。
保元の乱の後、後白河天皇が権力を握り、その側近信西が勢力を伸ばした。しかし美福門院らの一派が二条天皇の即位を求め、後白河院政支持派<藤原信頼>、二条天皇親政派<信西>の政権二極化が起こる。
政局混乱の中、藤原信頼らの院政支持派と天皇親政派は反信西で手を結び、平治元年(1159年)12月、都で最大の軍事力を有し中立派の平清盛が熊野参詣中という軍事空白期間に、信西政権へのクーデターを起こして信西を殺害、権力を掌握してしまう(平治の乱)

頼政は支持する二条天皇への支援という名目で、信頼中心のクーデターに参加。
しかし実権を握った信頼派と協力のみの天皇親政派はすぐに反目。
平清盛が中立から反藤原信頼となると、天皇親政派は二条天皇を内裏から脱出させ、六波羅の清盛陣営へ迎えてしまった。この結果、二条天皇や美福門院に近い立場にある頼政は信頼に従う意味を失うこととなる。
その結果12月27日、信頼に従う意味を失った頼政は、清盛と義朝の決戦で二条天皇を擁する清盛に味方することとなる。

頼政は平氏政権下で中央政界に留まり、源氏の長老の位置を占めた
。仁安2年(1167年)、従四位下に昇叙。頼政は大内守護として、嫡男の仲綱とともに二条天皇、六条天皇、高倉天皇の三代に仕え、また後白河法皇の武力として活動している。
破格の待遇<従三位>に昇進したとき頼政74歳。
翌治承3年(1179年)11月、頼政は出家して家督を嫡男の仲綱に譲っている。

この頃、平氏政権と後白河院政との間で軋みが生じていた。治承元年(1177年)に鹿ヶ谷の陰謀事件が起きて法皇の関与が疑われた。そして、治承3年(1179年)11月、法皇と対立した清盛は福原から兵を率いて京へ乱入してクーデターを断行、院政を停止し法皇を幽閉する挙に出る(治承三年の政変)。
翌治承4年(1180年)2月、清盛は高倉天皇を譲位させ、高倉と清盛の娘徳子との間に生まれた3歳の安徳天皇を即位させる。

これに不満を持ったのが後白河法皇の第三皇子の以仁王(高倉宮・三条宮)。
彼は法皇の妹八条院暲子内親王の猶子となって皇位への望みをつないでいたが、安徳天皇の即位でその望みが全く絶たれてしまった。頼政はこの以仁王と結んで平氏政権打倒の挙兵を計画する。

頼政の挙兵動機については多々あるが、『平家物語』では仲綱の馬を巡って清盛の三男の宗盛がひどい侮辱を与えたことが原因であるとされている。そしてこの騒動の発端になった駿馬こそ頼政に討たれた<鵺>
の生まれ変わりで、<この乱にて頼政は自刃を余技なくされる>これにより宿縁を晴らしたのだという。

同年4月、頼政と以仁王は諸国の源氏と大寺社に平氏打倒を呼びかける令旨を作成。
だが5月にはこの挙兵計画は露見。5月21日に平氏は園城寺攻撃を決めるが、その夜、頼政は自邸を焼くと仲綱、兼綱以下の一族を率いて園城寺に入り、以仁王と合流。平氏打倒の意思を明らかにする。

挙兵計画では、園城寺の他に延暦寺や興福寺の決起を見込んでいたが、平氏の懐柔工作で延暦寺が中立化してしまう。
25日夜、園城寺も危険になり、頼政は以仁王とともに南都(奈良)興福寺へ向かうが、夜間の行軍で以仁王が疲労して落馬し、途中の宇治平等院で休息を取った。そこへ平氏の大軍が攻め寄せた。

26日に合戦になり、頼政軍は宇治橋の橋板を落として抵抗するが、平氏軍に宇治川を強行渡河されてしまう。頼政は以仁王を逃すべく平等院に籠って抵抗するが多勢に無勢で、子の仲綱や宗綱や兼綱が次々に討ち死にあるいは自害し、頼政も辞世の句を残し渡辺唱の介錯で腹を切って自害した。享年77。

「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりけり」

以仁王は脱出したが、追いつかれて討ち取られた。
頼政と以仁王の挙兵は失敗したが、以仁王の令旨の効果は大きく、これを奉じて源頼朝、源義仲をはじめとする諸国の源氏や大寺社が蜂起し、治承・寿永の乱に突入し、平氏は滅びることになる。

大きな歴史の転換期スイッチを押す役割をになった源頼政は 亀岡の町を見下ろす小高い岡に鎮座し、今
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世を見つめている。









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by usa3811 | 2011-01-26 17:11 | 京都こもごも
お初天神<北野天満宮>
京都市上京区馬喰町075-461-0005

当天満宮の縁日(毎月25日)の中でも特に1月25日は、初天神と呼ばれ新春の参拝者で賑わう。

御祭神菅原道真公の誕生日6月25日、薨去の2月25日に因み毎月25日は御縁日として、終日境内周辺に露店が所狭しと立ち並び、参拝者の人波が絶えない。
特に1月25日は、初天神(12月25日は終い天神)と呼ばれ、新春一番の天神さんの日として、京阪神はもとより全国の人々に親しまれ、毎年多数の参拝者で賑わう。
露店も例月以上に多く植木・骨董・古着・衣料品などを商う店が新春の縁日の賑わいをみせる。(例年約千数百軒の出店)
一方、1月未は国公立・私立の大学・高校・中学校等の入試を直前に控え、真剣な受験生・父兄等の参拝も多く、合格祈祷を受けたり、絵馬に願い事を託す真摯な姿に、学神である当宮への篤い信仰を如実にみることができる.~北野天満宮HPより

と、いうことで今年初天神福を求め<お初天神>行ってきました。
あいにく朝のうちの雪で 露店の数も例年より少なく人出もいまいちだったように思いますが、午後からは時折日差しものぞき 咲き始めの早生梅の花もほのかに香り初春の訪れを告げていました。

天神さんは着物の古着を扱う店が多く、袋詰め放題2000円とか二枚で500円とか
材料探しの私には願ったりかなったりのお値段。
早速数点買いあさり ホクホクしながら帰途についたのでした。

天満宮さん隣の平野神社さんの境内に桧寒桜が淡いピンク色の華をつけていました。

帰りがけにお茶の師匠 辻先生とばったり!京都は狭おすなぁ。。。。
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by usa3811 | 2011-01-25 17:41 | 京都歳時記
鵺pat3 <神明神社><矢田地蔵>
京都市下京区綾小路通高倉西入ル神明町<神明神社>写真1、2枚目

神明神社(しんめいじんじゃ)は、綾小路通高倉にある小さな神社で、かつて境内に榎の大木があったので「榎神明」とも称された。

もともとは菅原忠道の邸宅にあった鎮守社で、源頼政が近衛天皇を毎夜悩ました鵺(ぬえ)を退治したときに祈願され、使った矢尻(やじり)が奉納されており、厄除け火除けの神さんと信仰されている。

この矢尻は九月の祭礼のときに実物が飾られるが、常は社内に写真が掲げてある。
~村上健司<京都妖怪紀行>より


亀岡市横町西堅町<矢田地蔵>写真3枚目

頼政は鵺退治の際守り本尊の横町の地蔵にお参りしたところ、地蔵が夢枕に立ち、
「矢田の鶏山の白鳥の羽で矢を作り、それで退治しなさい。」
とのお告げをされた。頼政がそのとおりにしたところ、見事鵺を討ち果たしたという。

頼政を助けた地蔵は「矢の根地蔵」と呼ばれ、今でも横町西堅町の
矢の根地蔵堂に「源三位頼政守本尊」として祀られている。~HPより

<鵺>というより頼政談になってきたが、この功績により頼政は現在の亀岡矢田周辺の土地を拝領したという。矢根地蔵 頼政塚など、今だ多くの史跡が残るのはそのせいだろうか。。。

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by usa3811 | 2011-01-24 16:47 | 京都こもごも
鵺pat2 <鵺塚>
月輪御陵 京都市伏見区深草本寺山町
<鵺塚陵墓参考地 出土遺物埋納所>

2010年9月15日の日記に<鵺池と鵺大明神>というのをupしている。
この鵺池は二条院の御世 宮中にて夜な夜な不気味な<ひよぉ~~>
という泣き声がし、帝が御病に臥されてしまった。
これは<鵺>の仕業に違いない!と源頼光が子孫 源頼政が退治を命ぜられた。
頼政は神明神社(綾小路通高倉西入)に祈祷し退治に向かう。

神明神社で祈祷された頼光より伝わる弓と矢で 頼政は無事鵺退治に成功する。
その射抜かれた鵺が落ちてきた所が二条城北側<鵺池と鵺大明神>あたりといわれている。

その後鵺の遺体は<平家物語>によれば 丸木船にて川に流し、流れ着いた場所が大阪市都島区と兵庫県芦屋の二箇所に伝わっている。両方共に<鵺塚>は現存する。

<源平盛衰記>だと清水寺の岡に埋められ、江戸時代にそれを掘り起こし祟りにあったと<閑田次筆>には記されている。

もう一つ岡崎公園運動場あたりにも鵺塚はあった。
運動場整備工事のため発掘調査が行われ その際この鵺塚は古墳時代の墳墓であることが判明したそうだ。
このとき出土した埋蔵物がこの月輪南陵に収められている。~村上健司著<京都妖怪紀行>より
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塚は二つ並んでおり <鵺塚出土品>ともう一つ<秘塚出土品>
ここには何が埋まってるんでしょうね。
参考資料
http://www.ac.auone-net.jp/~sanryouk/sikisima/isekitodensyo.c.html
明日は鵺pat3<神明神社>と<頼政首塚>をお届け予定です。こうご期待! 
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by usa3811 | 2011-01-22 19:03 | 京都こもごも
お初弘法
今日は今年初めての東寺の市 <お初弘法>でした。

この日買い物すると一年福にめぐまれるとか。。。

お天気は今一つでしたが 外人さん 観光の方などいつもの弘法さんよりかなりの人出。

私が伺ったのは昼前ですが、出店の中にはもう片付け始めているところもあり 朝早くから多くの人出だったことが伺えました。

本当は着物の古着を探しにいったのですが、お昼前でお腹が空いていたことも原因し <干芋><玄米ポン>
<若狭湾 白海老><肉厚しいたけ山盛り>などなど。。。

食べ物ばかり買いあさって帰途に付いたのでした。。。
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by usa3811 | 2011-01-21 20:52 | 京都歳時記
堺市民会館ラブ・サウンズコンサートシリーズ2010
兵庫芸術文化センター管弦楽団 特別公演
佐渡 裕の<英雄>

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

●<エグモント>序曲 op.84

●ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
 第2楽章 ラルゴ
 第3ロンド・アレグロ

●交響曲 第3番 変ホ長調 op.55<英雄>
 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
 第2楽章 葬送行進曲;アダ-ジォ・アッサイ
 第3楽章 スケルツォ;アレグロ・ヴィヴァ-チェ- トリオ;アラ・ブレ-ヴェ-コーダ
 第4楽章 フィナーレ;アレグロ・モルト-ポーコ・アンダンテ-プレスト

アンコール ふるさと

指揮   佐渡 裕
ピアノ  エフゲニ・ボジャノフ
管弦楽 兵庫芸術文化センター管弦楽団

この<ラブサウンズコンサート>企画は昨年から堺市民会館で何度も行われていたらしい。
<劇場型都市 堺>をテーマに 企画運営なされているらしく 毎回満員御礼らしい。
昨夜も満席!!会場は熱気でいっぱい!!

前に京都で聴いたときも思ったけど このオケと佐渡さんの演奏は華やかでヨーロッパの香りがする。

リズムも音のダイナミックレンジも大きくてあでやか。
今回のベートーヴェン三昧の中では<英雄>がぴったり!

好き嫌いでいえばうちのだんなは仙台フィルのほうが好きだといっていた。
仙台フィルの弦の音はベルベットのように厚みがありレベルが違うそうだ。

確かに。。。でもこのバンドは金管木管の音が格段に柔らかくて美しい。

また聴きに行きたいな。

一枚目は最近完成した阪神高速。
堺に行くときにちょっとかっこよかったので車の中から
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。。。






 
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by usa3811 | 2011-01-20 22:16 | 音楽
仲源寺(ちゅうげんじ)・目やみ地蔵
住所:京都市東山区祇園町南側585-1
参拝時間:7:00~20:00
拝観料:無料
TEL:075-561-1273

創建当初は「雨やみ地蔵」と呼ばれていたお地蔵様。

「目やみ地蔵」と呼ばれるようになった経緯(いきさつ)は、「雨やみ」が転じて「目やみ」になったという説と、眼病の治療にも霊験があるとの信仰からという説があります。

黒光りした木彫りの大きなお地蔵様の目をよく見ると、右目が潤んで充血しているように見えます。
そのため、眼病で苦しむ人の身代わりになっておられるとして、次第に目の健康にご利益のあるお地蔵様として、信仰を集めるようになりました。~仲源寺HPより

四条鴨川を渡り 祇園に向かって東へ行くと右手にすぐ見えてきます。

こじんまりとした静かな佇まいながら いつお参りしても誰か彼か参拝の方とお会いします。
厚く信仰されて大切に守られているのを感じます。

かくいう私も 主人の緑内障が進行しない様 通りかかれば必ずお線香とおろうそくをお供えさせて頂きます。

じっと手を合わせていると <だいじょぶだいじょぶ>と声が聞こえてきそうな そんな柔和なお顔のお地蔵様です。
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by usa3811 | 2011-01-19 14:19 | 京都こもごも
  

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