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北野天満宮 梅園
春うららを通り越し 京都市内は気温18度。
まるで五月始めのような暖かさです。

天神さんの梅園の梅も暖かさに誘われ 約七分咲きぐらいでしょうか。
清清しい香りと紅白の色に染められ なんとも清涼な空間でした。

http://www.kitanotenmangu.or.jp/
梅花情報はこちらでご確認ください。
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by usa3811 | 2011-02-27 17:37 | 自然 植物
鵺 番外編<平等院 頼政墓>
前日平等院続き。。

〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116 電話:0774-21-2861(FAX:0774-20-6607)
<扇の芝>
治承4年(1180)5月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し自刃しました。 毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。 辞世の和歌 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果 てぞ 悲しかりける。」

<頼政の墓地>
治承4年(1180)5月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し自刃しました。 毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。 辞世の和歌 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果 てぞ 悲しかりける。」
~平等院HPより


2011/1のブログ鵺pat4<頼政塚>より
挙兵計画では、園城寺の他に延暦寺や興福寺の決起を見込んでいたが、平氏の懐柔工作で延暦寺が中立化してしまう。
25日夜、園城寺も危険になり、頼政は以仁王とともに南都(奈良)興福寺へ向かうが、夜間の行軍で以仁王が疲労して落馬し、途中の宇治平等院で休息を取った。そこへ平氏の大軍が攻め寄せた。

26 日に合戦になり、頼政軍は宇治橋の橋板を落として抵抗するが、平氏軍に宇治川を強行渡河されてしまう。頼政は以仁王を逃すべく平等院に籠って抵抗するが多勢に無勢で、子の仲綱や宗綱や兼綱が次々に討ち死にあるいは自害し、頼政も辞世の句を残し渡辺唱の介錯で腹を切って自害した。享年77。

「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりけり」

頼政さんの墓地がひっそりと佇んでいました。
一月に<トラツグミ>から始まって<鵺>を調べるまで、この<頼政さん>に格別な思いは無かった。
が、<頼政さん>を知ることで、また、今回思いもかけず(というより自刃した地が平等院なのだからあってしかるべき)<頼政さん>に再会し、旧友にまた合ったような懐かしさと愛着を感じた。

宇治に来たらまた合いに来るからね<頼政さん>
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by usa3811 | 2011-02-26 20:54 | 京都こもごも
平等院
先週 中国から友人が泊まりにきた。

会うのはほぼ一年ぶり。中国に暮らして今年で10年。ますます現地人の装いだが。。。

ともかく 宇治平等院に行ってきた。

京都府宇治市宇治蓮華116
平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
また鳳凰堂が10円硬貨の表の絵柄として有名である。

平等院の創建  浄土式庭園と鳳凰堂

京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。
道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。

平安時代後期、日本では「末法思想」が広く信じられていた。釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れ、天災人災が続き、世の中は乱れるとする思想である。平等院が創建された永承7年(1052年)は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営した。

平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいた。藤原道長は寛仁4年(1020年)、無量寿院(のちの法成寺)を建立、また11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願の法勝寺を筆頭に、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺のいわゆる「六勝寺」が今の京都市左京区岡崎あたりに相次いで建立された。しかし、これらの大伽藍も今は現存せず、平安時代の貴族が建立した寺院が建物、仏像、壁画、庭園まで含めて残存するという点で、平等院は唯一の史跡である。ただ、平等院も建武3年(1336年)の楠木正成と足利氏の軍勢の戦いの兵火をはじめ、度重なる災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみが奇跡的に災害をまぬがれて存続している。

平等院には、鳳凰堂以外に以下のような堂塔が建ち並んでいた。

* 法華堂 - 天喜4年(1056年)、頼通によって建立。今の平等院ミュージアム付近にあった。
* 多宝塔 - 康平4年(1061年)、頼通の娘の四条宮寛子(かんし)によって建立。鳳凰堂の南東方向の宇治川べりにあった。
* 五大堂 - 治暦2年(1066年)、右大臣藤原師実(頼通三男)によって建立。鳳凰堂背後の浄土院付近にあった。
* 不動堂 - 延久5年(1073年)、右大臣源師房(頼通養子)によって建立。鳳凰堂の南西方にあった。

現在の平等院
現在の平等院は、天台宗系の最勝院(ともに鳳凰堂の西側にある)浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で管理している。浄土院は明応年間(1492年-1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるものである。

1990年代以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータ・グラフィックスによる再現などが行われている。2001年にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。建築家栗生明は、鳳翔館(新建築2001年9月号)の設計で、日本芸術院賞を受賞している。

1996年から1997年にかけて、平等院の裏手に15階建てのマンション2棟が建ち、鳳凰堂の背景になってしまっている。創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが景観法施行前の2002年に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている
~ウィキペディアより

だんなと中国友人は「平等院ミュージアム鳳翔館」が出来てから初めての平等院で、堂内も拝観しご満悦の様子だった。

私は私である建造物を発見!それは、、、~以下次号
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by usa3811 | 2011-02-25 23:58 | 京都こもごも
着物デビュー
今日はお茶のお稽古。

弟弟子が 本日着物デビュー!!

ちょっと丁稚さんみたいだけど。。。
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by usa3811 | 2011-02-24 19:31 | お茶
第6回春の大茶会
〒611-0021 宇治市宇治折居25-2
TEL 0774-23-7713 FAX 0774-23-9651

主催 社団法人京都府茶業会議所
京都府茶生産協議会、京都府茶協同組合、宇治茶の郷づくり協議会

平成23年2月20日(日)10:00~15:00
開催場所 宇治茶会館、京都府茶業センター

http://www.ujicha.or.jp/index.html


全国・関西品評会で農林水産大臣賞を受賞した茶名人による呈茶、宇治茶手もみ製茶体験、
スタンプラリー、宇治茶でクイズ、茶道具・茶の木人形の展示、宇治茶の秤売り・販売、お茶の淹れ方教室など、盛りだくさんのイベントでした。

呈茶でお抹茶と玉露を頂いてきましたが 流石に農林水産大臣賞受賞茶だけあり 味 香り 色どれをとっても見事なお茶でした。
それをこんなお値段で頂いていいのかしらん?と、思うほど安価で堪能させていただきました。

中国から来ていた友人も 久しぶりに美味しい日本茶を頂いた!とご満悦の様子でした。

三枚目は手もみするうちのだんなです。
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by usa3811 | 2011-02-23 17:37 | お茶
土曜日の午後
お日様は春のようにぬくぬくだが少し風が冷たい。
日の光に誘われてカメラを持ってふらっとお出かけ。

阪神高速陸橋工事現場で だんなに撮影法を学ぶ。
    。。。。。難しいぞ。。。。。。

今日のにゃんこは埃で真っ黒。目が合ったので<にゃぁ>と声をかけたら<にゃあ>と良いお返事。

そのまますたすた近づいてきてすりすりごろごろ、、、
君すりすりしたとこ 真っ黒なんだけど。。。まぁいいか。。

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by usa3811 | 2011-02-19 16:15 | 日記 写真
錦天満宮と錦市場
今日は着物屋さんの売り出しがあり 三条まで友人と出かけてきました。

着物のほうは残念ながら思うようなものに当たりませんでしたが、寺町近郊も久しぶりだったのでそぞろ歩いてきました。

明日から中国の友人が泊まりに来るので 三嶋亭で肉を買い(って切り落としですが。。)
<ずいぶんと店が入れ替わってるなぁ~>などどウィンドショッピングしながら錦市場へ。

おっと!その前に<錦天満宮>さんにお参りしないと、、、

錦天満宮
京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、京の台所として知られる錦市場の東の端にある神社で 
天満天神(菅原道真)を祀っている。学業に加え商売繁盛も御利益に謳われている。

長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転した。
その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残された。
境内には、京の名水の一つに挙げられている「錦の水」(井戸水)が湧き出ている。~ウィキペディアより

“菅原院”(現菅原院天満宮神社)は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。
京都御苑の下立売御門の向かい側にある。この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)が造営した菅原院跡で 菅原古人以来、是善(これよし)、道真(みちざね)の三代が住まったところでもある。
菅原姓は、土師(はじ)宿禰古人が奈良時代末期の天応元年(781)に改名して “菅原”と名乗ったがはじまりで、奈良時代から平安時代にかけて多くの学者を輩出した家柄である。
菅原古人その子の清公、更に是善といずれも文章博士という最高の位に就ている。道真はこうした環境のもと、是善を父として承和12年(845)に誕生している。

また六条河原院(現在の渉成園辺り)は、平安時代初期の左大臣源融(みなもととおる)が造営した広い庭園をもつ邸宅で、庭には鴨川の水を引き入れ、陸前(宮城県)の松島や塩竃(しおがま)の風景を模して庭作り、大きな池があったという。
融は、池畔で塩を焼き、煙の風情を楽しむため、毎月、難波から海水を運ばせていた。
現在も河原町五条南西部に塩竈町の地名が残っているのはこのためであるといわれている。

六条河原院は融から、子の昇に譲られ、さらに宇多法皇に寄進され、法皇の死後寺へと改められた。
融(とおる)は、この他に嵯峨の山荘・棲霞観(せいかかん)や宇治に別業を造るなど豪奢な生活をしていたようで、光源氏のモデルともいわれている。
嵯峨野にある清凉寺(通称嵯峨釈迦堂)は、融の山荘・棲霞観跡と伝えられ、境内には源融の墓といわれる石塔がある。また融の宇治の山荘跡は、のちに藤原道長に渡り「宇治殿」となり、その子・頼通が寺に改めたのが平等院の始まりである。~京都名所より

お参りも終わったので、錦市場入り口すぐ側の漬物やさんで<胡瓜の古漬け>を購入。(だんなの大好物)
美味しそうなあらまきの中辛中落ちを見つけたので購入。
今日の晩御飯は鮭と古漬けと炊いてきたブリダイコンだな。。

高倉よりのお餅やさんでつき立て餅とぜんざいを頂き、四条からバスに乗って帰ってきました。

さ、鮭焼こっと。。。
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by usa3811 | 2011-02-18 17:57 | 京都こもごも
春うらら 北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町
TEL 075-461-0005
<天神さんと梅>
北野天満宮の主祭神である菅原道真が太宰府左遷の時に詠んだ有名な歌があります。

道真の和歌
東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

その梅が主である道真を慕って、一晩のうちに太宰府に飛んでいったという「飛梅伝説」が生ました。この伝説により北野天満宮の神紋には梅があしらわれています。
北野天満宮には50種約2000本の梅が植えられ、2月初旬から3月末までは梅苑(有料)も公開されます。梅の香りに誘われるように梅の季節には大勢の参拝客が訪れます。

<天神さんと牛>
宝物殿横の臥牛 宝物殿横の臥牛と梅 明月舎の牛 明月舎の牛 というように

北野天満宮には牛の像がたくさんあります。牛は天満宮では神使(祭神の使者)とされているからですが、その理由は次のように言われています。

牛が神使となった理由
1.道真の生まれた年が丑年
2.道真が亡くなったのが丑の月の丑の日
3.道真は牛に乗り大宰府へ下った
4.牛が刺客から道真を守った
5.道真の墓(太宰府天満宮)の場所を牛が決めた

どの説も伝承なので真偽のほどはわかりません。ただ、4番の「牛が刺客から道真を守った」という話は、護王神社の和気清麻呂の猪伝説に通じる話です。~京都観光スポットより

あまりの暖かさに ついふらふらと天神さんに行ってきました。
2月25日の <梅花祭>を前に梅の開花状況もみたかったので。。。

結果は早さきの梅の五分咲きといったところ。
先週の寒の戻りが影響している模様。

それでも境内は梅の香りに包まれ春爛漫の様相を呈していました。
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by usa3811 | 2011-02-17 19:22 | 京都こもごも
ご近所風景 
今日は一日中 お日様ぬくぬくの春春した一日でした。

春陽気に誘われてふらっとご近所撮影。

改めてこのあたり 味のある風景です。

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by usa3811 | 2011-02-16 18:51 | 日記 写真
雪消月の雪の日
昨日夕刻からしんしんと降り積もった雪は夜中にはあらかた消え 木々の枝に残るばかりでしたが、
翌朝起きてカーテンを開けたら!また真っ白です!

だんなを起こし 朝飯を食べさせ 東福寺臥雲橋についたころには半分以上融けて無くなっていました。

流石に<雪消月>(二月の異名)の雪です。

今日の写真は三枚ともファインダーを覗かずに撮影した<こんなもんかな?>シリーズです。

。。。。もしかしたら覗かない方が綺麗かも。。。。
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by usa3811 | 2011-02-15 11:43 | 日記 写真
  

時々晴れ
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